エリア特集

REALTY PRESS
エリア特集「日本橋」

 

2019年9月26日

江戸時代から日本の中心として栄え、
再生によって新たな輝きを放ち始めた街、日本橋。

「お江戸日本橋七つ立ち~」と歌われる橋の名が街の名にもなっている日本橋は、
徳川家康が幕府を開き、城下町の整備を始めた際、町人の街として最初に開発された街です。
歴史に育まれ、金融を中心とするビジネス街として大きな発展を遂げながら、
この地独自の歴史文化性を生かした再開発が着々と進む街「日本橋」をご紹介します。

いつの時代も日本の中心にあり、発展の原点となった日本橋。

日本橋が初めて架橋されたのは、江戸幕府が開かれた慶長8年のことです。翌年、幕府は国内の道路整備を推進し、東海道・中山道・甲州街道・奥州街道・日光街道を五街道として制定。日本橋はこれら主要幹線の起点に定められ、「道のりの総元締めは日本橋」と川柳に詠われるほど、全国の交通の要衝となりました。「日本」を冠した橋の名は江戸幕府の地誌書『御府内備考』によると、「この橋、江戸の中央にして、諸国への行程もここより定めらるるゆえ、日本橋の名ありという」と伝えられています。

日本橋はいつも足元が見えないほど数多くの人が行き交い、橋の北詰めには一日に千両の金が落ちるといわれた魚河岸。南詰めには高札場。現在の日本銀行本店があるところには金座が設けられるなど、日本橋そして日本橋界隈は物流や経済をはじめ、あらゆる都市機能が集積する江戸の中心を成していたのです。

当時は当然木造の橋で、火事の多い江戸にあって、日本橋も幾度も焼失しました。そのたびに架け替えられ、現在の日本橋は19代目。明治36年発令の市区改正により、路面電車を開通させるための拡幅の影響や強度・防災面から、日本橋は石橋へと姿を変えることになりました。

明治44年に完成した橋は、ルネッサンス式のアーチ型石橋で、名標は徳川最後の将軍・慶喜が揮毫したもの。欄干に置かれた青銅の麒麟は東京の繁栄を意味し、都章を抱える獅子は東京の威厳と守護を象徴しています。関東大震災や戦禍を乗り越えてきた明治建築の傑作と呼ばれるこの橋は、平成11年には現役の国道道路橋として初の重要文化財に指定されました。かつて「東京市道路元標」が建っていた場所には、佐藤栄作筆の「日本国道路元標」が埋め込まれ、今なお日本道路網の始点という重要な役割を果たし続けています。

町人文化を数多く花開かせた、江戸時代の日本橋。

五街道の起点となる橋がある街には、全国からさまざまな文化や技術が結集。その一つが出版で、日本橋通一丁目には「武艦」や「江戸切絵図」など公的出版物を数多く手掛けた書物問屋「須原屋」が、通油町には、曲亭馬琴・山東京伝・式亭三馬・十返舎一九などの作品や、歌川豊国・歌川国貞の浮世絵を多く出版した地本問屋「鶴屋喜右衛門」がありました。江戸歌舞伎や人形浄瑠璃の上演も日本橋に限られ、江戸三座のうち中村座は堺町、市村座は葺屋町に、江戸の流行や話題の発信地として大いに賑わいました。

また、日本橋界隈は幕府や大名の御用を務める商人や職人が多く住む街でした。当時の地図を見ると呉服町や本材木町、北鞘町、箔屋町など職業ゆかりの町名が多く見られます。現在、日本橋が付く町名は21。これは明治11年に日本橋区が設けられた時の域内にあり、昭和22年に中央区が新設された際、町名に日本橋を残したいという地元の人々の根強い声に応えたものです。多くの旧地名は消えてしまいましたが、その思いは日本橋を冠した町名に残されています。

日本の中心であった輝き再び、日本橋再生。

明治を迎え、日本橋にもガス灯が灯り、鉄道馬車が走り、明治29年には金座の跡に日本銀行本店が誕生。大正3年、三越がルネッサンス様式の本館を落成させ、街並みにも次第に洋風文化が波及して行きました。進化の反面、橋詰め広場に集う出店が禁止され、輸送手段が舟運から鉄道へと移行。大正12年に起きた関東大震災は日本橋にも甚大な被害をもたらし、その後の土地区画整理事業に伴い、物流の中心であった魚河岸は築地に移転してしまいます。この地も戦禍の渦に巻き込んだ大戦を経て「もはや戦後ではない」の時代、昭和39年の東京オリンピック開催のために突貫工事で造られた首都高速道路は、日本橋川から空を奪いました。そしてバブルの崩壊が、日本橋にさらなるダメージを与えてしまいます。

時代の波に飲み込まれるままから、江戸時代のような輝きを再び。地元と官・学・民が一体となって、日本橋再生への取組みが始まったのです。「残しながら、蘇らせながら、創っていく」をコンセプトに、ハードとソフトの両面から日本橋のアイデンティティを生かした、数々のプロジェクトが展開されていきます。

またこの日本橋再生は、東京都が実施する「アジアヘッドクォーター特区」構想の一つに指定されます。日本橋は江戸時代から商人の街として栄え、日本銀行本店や東京証券取引所などが立地する、日本を代表する金融街であり、製薬関連企業が数多く集積する街という特性から、構想には日本橋が築き上げてきた金融・製薬ビジネスをより強化させるという提案が含まれていました。ライフサイエンス産業の活性化および医薬品等の製品化の促進。日本橋を中心に据えた東京国際金融センター構想。兜町と大手町をつなぐ永代通りを金融軸として、官民連携によるさまざまな金融機能の整備が図られています。

さらなる輝きを目指して、次々と展開される街づくり。

福徳神社

次代へとつなぐ街づくりの初陣を切ったのは、日本橋室町東地区開発でした。日本橋室町エリアでは、「界隈創生」「地域共生」「水都再生」「産業創造」という4つのテーマを基に再生計画が実施され、平成17年〜22年に「日本橋三井タワー」「COREDO室町」「日本橋室町野村ビル(YUITO)」が完成。平成25年には江戸時代に同所にあった地名を冠した「浮世小路千疋屋ビル」、平成26年には「COREDO室町2・3」と「福徳神社社殿」が完成。平成28年、神社の鎮守の森であり緑薫る都心のオアシス「福徳の森」の完成に加え、「COREDO室町3」には製薬事業を中心とした産業創造を強化するため、ライフサイエンス・イノベーションが、産官学で推進する「一般社団法人LINK-J」によって立ち上げられました。

民間主体の活動も盛んに行われ、名橋「日本橋」保存会、ECO EDO 日本橋、日本橋地域ルネッサンス100年計画委員会、日本橋再生推進協議会など、さまざまな活動を通して日本橋の明るい未来実現が推進されています。

そして今年3月には、日本橋再生第2ステージの旗艦プロジェクトとなる「日本橋室町三井タワー」が完成。日本を牽引する企業や世界をリードする多彩な業種の先進的な企業が入居し、東京の国際競争力の強化に貢献します。

直近では、日本橋室町一丁目地区再開発の概要が発表されました。A~D の4街区に分けて開発され、A街区に令和8年竣工予定の地上36階建て超高層複合タワーは、低層階に店舗とライフサイエンス産業支援施設、中層階にオフィス、上層階に共同住宅が計画されています。日本橋川沿いに位置するB~D街区には、店舗等で構成される3階建て3棟を計画。竣工予定は令和14年というまだまだ先の話ですが、日本橋川を覆うように走る首都高の地下化構想が実現すると、青空のもと水辺の美しい景観を楽しむ、より一層の界隈性を生み出す空間になります。

働く街が主体であった日本橋を、江戸時代から培われてきた独自の歴史と文化に磨きをかけて、住む、遊ぶ、粋あふれる街へ。日々進化を続け、日本橋が一歩一歩着実に輝きと賑わいを取り戻していることは言うまでもありません。

TIPS

今年9月の「COREDO室町テラス」開業を機に、コラボイベントを開催。

「日本橋室町三井タワー」はオフィス・商業・広場空間・ホール等で構成される、施設の複合性とソフトの付加価値で賑わいを創出する地上26階・地下3階建ての大規模複合ビルです。3階には31店舗が集う商業施設「COREDO室町テラス」があり、9月27日の開業を記念して、「JAPAN COLLABORATION」をテーマとしたエリアイベント「NIHONBASHI MEGURU FES」を開催します。

日本橋の街全域で展開されるこのイベントは、アート、エンターテイメント、フードの3つのコンテンツで開催されます。アートでは、「日本橋へようこそ」というメッセージをクリエイターが暖簾にデザインし、「水都東京」をテーマとしたアート展を開催。エンターテイメントは、世界的なジャズフェスの誘致やナイトクルーズ。フードはフランスと日本橋のコラボによる食のイベントやマルシェなど。

行政も巻き込んだ約55日間にわたるビッグイベントが、日本橋に新たな賑わいを生み出します。

VARIETY

誠品生活日本橋

読書と文化の交流を育む、
台湾発の文化情報発信拠点

「くらしと読書のカルチャー・ワンダーランド」をコンセプトに、日本橋の歴史・人々の暮らしの中で受け継がれてきた文化を「誠品生活」ならではの感性で編集し、創造的で多彩な文化情報を発信するプラットフォームです。「誠品書店(書籍)」「文具」「セレクト物販・ワークショップ」「レストラン・食物販」の4ゾーンに、誠品ならではの選書による書籍や、100近いブランドの商品が揃います。

「誠品生活日本橋」誠品書店イメージ
「誠品生活日本橋」誠品書店 地図

住所:東京都中央区日本橋室町3−2−1 COREDO室町テラス2階
TEL:03-6225-2871
営業時間:10:00~21:00 (台湾レストランの富錦樹台菜香檳のみ11:00〜23:00)
URL:https://www.eslitespectrum.jp

CRUISING

東京湾クルージング

目線が変われば景色も変わる
日本橋川から発見が楽しい水上散歩

現在の「日本橋」が架橋100年を迎えた平成23年、橋のたもとに「日本橋船着場」が誕生しました。ここから船に乗って日本橋クルーズへ。さまざまな船がツアーを実施しており、東京湾クルージングもその一つ。日本橋から隅田川を巡るコースや東京湾を巡るコース、春には桜周遊クルーズなど、ガイドの細やかな解説とともに、川からしか見ることのできない東京の景色を堪能できます。

東京湾クルージング
日本橋船着場 地図

住所:東京都中央区日本橋1−9 「日本橋船着場」(日本橋のたもと)
TEL:03-5679-7311
営業時間:10:00~17:00
運行予定、コース料金等はお問い合わせ下さい
※他にも各種コースあり

― 中央区の不動産情報 ―

投資用不動産 事業用不動産

関連記事
高輪特集
両国特集
大阪特集

お問い合わせ

不動産に関するご相談は以下までお問い合わせください。

お電話でのお問い合わせ

0120-921-582 TEL:0120-921-582

受付時間:9:30~18:00(定休日/水曜・日曜)

担当部署:ソリューション事業本部
FAX:03-5510-4984
住所:東京都千代田区霞が関3-2-5 霞が関ビルディング