ディズニーランド・パリが新型コロナによる休園を終えて、6月17日に再オープンしました。「家族がいる自宅へ戻ったようだ」と表現するメディアがあり、驚きました。このテーマパークについてはフランス人からは長い間、悪口しか聞こえなかったからです。
世界各地のディズニーランドは巨大都市開発の一部という面を持つものがあります。
日本のディズニーランドもきっかけは「京葉工業地帯」です。昔の千葉県には埋め立て工事に必要な資金がありませんでした。民間会社が費用を立て替えて埋め立てをし、完成した土地を県から払い下げを受けて未収金を相殺、こうして得た土地は工場用地として外部へ売却、やっと現金の回収ができたわけです。「京葉工業地帯」はこの繰り返しで完成しました。
しかし浦安地区を埋め立てる頃には千葉県は、「工場はもういい。遊園地とするなら認める」としました。当時のオリエンタルランドは銀行への信用力がなく、最終的には三井不動産がピーク時で1600億円超にも達する超巨額の債務保証を行いました。東京ディズニーランドは財務的にはこの債務保証により得た資金のおかげで実現しました。
ディズニーランド・パリにも都市開発という面があります。ナポレオン三世による都市改造から時代が過ぎ、パリ市は過密の分散のために近郊5地域を衛星都市に指定しました。ディズニーランド・パリはその中のひとつの核となる巨大事業という位置づけでした。
フランスはスペインとの激しい誘致合戦には勝ったわけですが、苦難は1992年のオープン頃から激しくなります。「レストランでワインを出さないのはフランス文化への挑戦」「ミッキーマウスとは所詮は『ネズミ』」「シンデレラや白雪姫はヨーロッパ起源の話でそれをアメリカ人が焼き直したものをわざわざ見る意味はない」と、散々な言われ方をしていました。
ディズニーへの反発はさらに過激化し、鉄塔に仕掛けられた爆弾でホテル群が一時停電、農民たちはトラクターを繰り出して道を封鎖しました。客足は非常に悪く、開業の2年後には「閉鎖もありうる」とされました。1995年に親会社のディズニーへの上納金を大幅に減らして初の黒字となったのですが、2014年には親会社から10億ユーロ(1300億円)の巨額救済、2017年には親会社が持ち株会社の株式を97%に買い増すという多難さだったのです。
しかし、新型コロナを経て再オープンすると、まったく違う景色が見えているわけです。なにしろ、あのフランス人が「家族がいる自宅へ戻ったようだ」と感じているのです。
オープンから29年、ミッキーやミニーたちのファンはヨーロッパの全域に広まっていました。「アナと雪の女王」や「スター・ウォーズ」がテーマのエリアも予定され、スペース・マウンテンにはフランスの作家、ジュール・ヴェルヌの小説のモチーフが取り入れられています。
ディズニーの世界観には普遍的なものがあるように思えてしかたがありません。
(ユーロ=130円 2021年7月30日近辺のレート)
ジャパン・トランスナショナル 代表 坪田 清